1995年10月1日現在(国勢調査による)
人口 :14,755人
世帯数:3,733世帯
面積 :22.83平方キロメートル

歴史と伝説が息づく田園のまち

 三井郡の北東部に位置する大刀洗町は、筑後川中流域の北岸に広がる農村地帯です。大刀洗川・小石原川・陣屋川など、町内を流れる7本の川が、広大な田園地帯にうるおいを与えています。町の中心部を西鉄甘木線が南北に走り、甘木市と久留米市方面を結ぶ国道322号が中央を斜断。北部には九州横断自動車道が走り、町外への交通網が整っています。その交通の便の良さから多くの企業が立地し、また住宅地として発展しています。
 町民の個性と生きがいを育むための施設として、運動公園やドリームセンター、武道場、勤労者体育センターなども充実し、余暇を文化活動や運動で楽しめる環境が整備されています。また、町内には隠れキリシタン伝説が残り、歴史のロマンを漂わせるまちでもあります。大正2年に建設された、ロマネスク様式赤レンガ造りの今村カトリック教会は、今なお厳粛に信仰を伝えています。

東洋一と言われた「大刀洗飛行場」
 第一次世界大戦によって飛行機を高く評価した日本は、飛行場整備の候補地として、中国大陸にも近くて広大な平地であった山隈原(大刀洗町・甘木市・三輪町)を選定し、3年をかけて大刀洗飛行場を建設。やがて国際空港としての機能も備え、朝鮮半島や中国本土への定期便就航を行うほどになりました。
 第二次世界大戦が始まると、西日本における航空兵器機材の補給基地となり、飛行機の生産も開始。また、少年飛行兵の基礎教育や訓練の場としても使用され、陸軍飛行機学校の開校に伴い、全国の陸軍機操縦士の3分の2を養成していました。その後、飛行学校、航空廠(工場)、通信班、気象班が設けられ、飛行機や機材備品の整備・管理などを担当し、航空関係一色となった大刀洗周辺は、空の一大基地にふくれ上がり、その規模は東洋一とも言われました。しかし、昭和20年3月、米軍機の相次ぐ空襲により、大刀洗飛行場は徹底的に破壊し尽くされたまま終戦を迎えました。
 現在、その面影を残す建物は少なく、資料もかなり散逸してしまいましたが、「大刀洗空襲を語りつぐ会」や、地元の郷土研究家などの人々によって、今も当時の体験を忘れないよう後世へ伝えられています。西日本の陸軍航空発祥の地・大刀洗飛行場の跡地は今、工業団地に生まれ変わっています。

夢と文化の発信基地「ドリームセンター」
 平成5年、町の文化振興のために落成した「大刀洗ドリームセンター」は、近代的な設備が整ったドリームホールや郷土資料室、図書館、展示ホールなどが一体となった複合文化施設です。
 中心施設のドリームホールは、可動式の客席を収納すると692平方メートルのフロアになり、音響装置や舞台、照明、映像の各設備にも最新技術を導入。コンサートや映画上映、講演会はもちろん、各種文化サークル活動の成果発表の場としても活用できる多目的ホールです。 オープン以来、各界の著名人を招いての公演をはじめ、成人式の式典、文化講演会、芸術祭など、さまざまなイベントが行われています。
 毎年11月に開催される「ドリームまつり」は、多彩なイベントや立ち並ぶ露店で賑わう、町最大の文化の祭典です。夢と文化の発信基地「大刀洗ドリームセンター」は、人と文化の交流拠点として、有意義に活用されています。

「生の英語」にふれる中学生の語学教育
 町では、中学生たちに「生の英語」にふれながら、国際感覚を身につけてほしいという願いから、外国青年招致事業を推進しています。
 町内の中学校に外国語指導助手(ALT)を招いて、生の英語による英語教育を行っています。従来の英語教育とは異なり、英語を母国語とする外国人の言葉を身近で聞いたり、対話することによって、中学生たちは実際に外国で通用する発音を肌で学んでいます。
 また、毎週1回、町内の各小学校にも外国語指導助手を派遣し、外国青年と小学生たちとの交流も促進しています。

すべての町民が安心して暮らせるまちづくり
 子供からお年寄りまで、みんなが幸福で、生きがいのある日々を送れるようなまちづくりを進めていくために、社会福祉の向上にも力を注いでいます。 なかでも、お年寄りの心とからだの健康維持のため、ホームヘルパーの派遣やデイサービス事業、ショートステイ事業の推進、福祉バスによる温泉などへの無料送迎、70歳以上の一人暮らし世帯への牛乳無料配達など、在宅福祉サービスの充実を図っています。
 さらに、一人暮らし老人の集いや老人クラブ研修会、ゲートボール大会、老人と子供たちのふれあいの集いなど、お年寄りどうし、または世代を越えての親睦を深め合いながら、お年寄りが楽しく社会参加できるような機会を作っています。また、共働き世帯の増加に対応し、大切な幼児期の情操教育をバックアップするために、町立2か所、私立3か所の保育所が設置されています。

21世紀に向けた新しい農業を目指して
 約630年前の南北朝時代、肥後の武将・菊池武光が大原合戦で勝利した後、血まみれになった太刀を小川で洗ったと言います。この川は、後に大刀洗川と呼ばれるようになり、町名の由来となりました。 現在、菊池武光の銅像が建つ大刀洗川の河畔周辺は、大刀洗公園として整備され、春には桜の名所として花見を楽しむ多くの人々で賑わいます。
 大刀洗川の流域は豊かな自然条件に恵まれた農地で、特に大刀洗の野菜生産は、ホウレン草やレタス、大根など50種類に及び、県下有数の産地として有名です。 近年には、ほ場整備による農地の整備化で、より効率的な農作業が可能となりました。また、生産者の側においても、大型農業機械で共同作業を行うことによって低コスト農業を目指す新しい営農体制が確立しつつあります。
 町では、意欲的な農業者を育成するため、認定農業者制度を設け、農業経営改善セミナーや研修会などを開催しながら、より一層の意識の向上を図っています。

2000年2月19日更新
出典:「ふるさと情報ふくおか」(http://www.fmw.or.jp)
著作:福岡県市町村ふるさと交流センター